踏切に至りて

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魔境カルディ

魔境カルディ

 

 

 

 カルディが苦手だ。

 

 幼少期からの苦手意識が未だに拭えない。母のせいである。

 

 好奇心旺盛な母はカルディに来ると、一瞬で姿を消す。試飲のカフェラテ片手に、狭い通路をずんずん進んでいってしまうのだ。母を素早く見失った私は手持ち無沙汰で、仕方なくハリボーのグミを眺める。

 

「それ買う?」

 

 いつの間にか背後にいるのも恐ろしかった。おずおずと甘酸っぱいレモン味を差し出せば、母の持っているカゴにはたくさんの食材が入っていた。唐揚げにかけると美味しいチリソース、缶が可愛いコーヒーセット、異国のチョコレート菓子……

 

 テレビで特集されれば、母はいち早くカルディに向かった。所狭しと並べられた商品と、すれ違うのも必死な通路に目がまわる思いでいっぱいになった私は、諦めて店舗の外で長い時間待つ。それが決まりだった。

 

 大人になった私は、ハリボーを買うくらいにしか寄らなかったが、ついにカルディに用ができてしまった。冷凍のクロワッサン生地。なんと家のオーブンで焼くだけでできるという。美味しそう、絶対に食べたい。口内に唾液が溜まっていくのを感じた。そうと決まれば、カルディに行こう。

 

 そして三ヶ月が経った。一言でまとめれば、億劫なのである。あの取り残された迷子の感覚を味わいたくなかった。母に頼むか……、と半ば面倒になっていたころに意図せずチャンスは訪れた。

 

 舞台は、仕事帰りに寄った駅ビル。エスカレーターで降りた先が、カルディだったのだ。いつの間にか、私はカルディの敷地内に侵入していたのである。またとないチャンスだった。私は勇気と気力を振り絞って、散策に出た。狙いは冷凍のクロワッサン生地だ。頭の中でピピーと笛を鳴らす。

 

 数分後、私が手に持っていたのは、クリスマス限定の飴付きぬいぐるみ(ぬいぐるみ付きの飴なのかもしれない)と昆布茶だった。何かがおかしい。トナカイのコスプレをしたクマを握りながら考える。丸い耳がユニフォームに入っていなくてキュートだった。つぶらな瞳と目が合う。 

 

 飴付きのぬいぐるみなど絶対必要ないのだ。五畳しかない部屋のどこに置き場所があるのだ。でも、もう離せない。目が合ってしまったからだ。それに私はぬいぐるみが大好きだった。

 

 正真正銘の魔境。全くの計算違いである。気がつけば、クロワッサン生地のことなど忘れていた。私の足は吸い込まれるようにズンズンと進んでいく。気分は探検家だ。得体のしれない調味料のジャングルをかきわけていく。読み方を毎回忘れるが、高カロリーのチョコレート菓子も手に取った。サクサクのビスケットにチョコクリームが挟んであって、更にチョコで表面をコーティングされている。間違いなく美味しい。決め手は限定セールと書かれたポップ。

 

 母もこんな気持ちだったのかもしれないと頭のどこかで思い当たる。自分だけのお宝を探す感覚。いつだって目新しい商品に囲まれて、ときめきに包まれる。

 

 レジ前に冷凍クロワッサン生地は置いてあった。また次の機会に。そう誓って、私はクマとチョコレート菓子、そして昆布茶をレジに置いた。